「復讐するは我にあり」とは、聖書の言葉らしい。
なんだか物騒な言葉だけれど、「人から傷つけられても報復などせず、穏やかな気持ちでいなさい」という意味なんだって。
ところで、我が母は時間にきっちりとした人だ。
いっぽう、亡き父は時間にルーズ。「さぁ、でかけよう!」という、まさにその時、熱いお茶を淹れて「ちょっと一杯」という人だった。
ちなみに夫は「5分前行動」が標準なので、約束の時間きっかりに準備ができていても不服という珍獣。
私はギリギリ派。本当のところは5分や10分遅れてもあまり気にならない。
時間の感覚は人それぞれだ。
今朝は母を病院に送っていく約束だった。
約束の8分前。母がダウンジャケットとニット帽を着け、すぐに出かけられる格好で座っているのを見たら、軽くイラっときている自分を発見した。
あろうことか、これから出かけるのに、のどが渇きだした。
私のなかで父の血が騒いでいるのか!?今からお茶を飲んでも、ギリ間に合う。
どうにも母に急かされているような気がする。
「準備万端だね」と母に声をかけると「行くよ、って言われたらすぐ出られるように」という返事だった。
母は私を急かしてなどいない。
大変に気を遣っているのだ。
そんなことは、母から聞くまでもなくわかっている。
わかっているのに、反射的にイラッとくるのはどういうわけだ。
急かされていると感じてしまうのは、なぜなんだ?
その時、私の脳裏に「復讐」という言葉が浮かんだ。
あぁ、そうか。きっと、もう忘れてしまった幼い頃に「急かされている」と感じたことがあったのだろう。
その経験を何度も、何度も、無意識で繰り返しているに違いない。
ふと、幼稚園のママ友だった彼女を思い出した。
必ず時間に遅れてくる人だった。
約束の時間に迎えにいっても、20分、30分と待たされる。
父が時間にルーズだったこともあり(私は父のそういうところも好いていた)、こういう癖は深層心理と関係あるのかなと興味を持った。
- 出かける寸前に、子どもがジュースをこぼして着替えと掃除で手間取った。
- 靴を履こうと思ったら電話がかかってきた。
- 帰ろうと思ったらガス欠で車が動かなかった。
毎度、しょうもない言い訳を聞かされたけれど、彼女も「時間に遅れることはいけないこと」とは思っていたってことかな?
彼女とは20年くらい会っていないが、今朝、長い時を経て、共感と共に再会した気分だ。
急かされるプレッシャーに対して、それを押し戻したいという衝動・・・それが、時間に遅れることなのかもしれない。
これは、自分を攻撃してくる世界への復讐なのだ。
私もこうして世界を復讐心に燃えながら見ているのだと納得した。
かくして、私の喉の渇きは消え、約束の5分前に家を出て病院へ向かった。
いつもなら、その5分を使って茶を飲んでいたよね。
日常にこういう小さな理解(でも大きな発見)が生まれるのが、新鮮でとても嬉しい。
復讐するは我にあり。
ほんとだね。
AIに「復讐の女神」を描いてもらいました。美人です。